
旅行先の景色を眺めて昔の思い出を語ったり、初めて見る街並みに心を弾ませたり。外出には、日常に変化をもたらし、人との会話を生む力があります。一方、介護施設では、体調や移動の負担などから、利用者が気軽に出かけることが難しい場面も少なくありません。季節や地域の風景に触れる機会を、施設の中でどのようにつくるかも身近な課題の一つです。また、介護職員にとっても、「認知症のある方が何を見て、どう感じているのか分かりにくい」「座学で学んだ知識を日々の声かけにどう生かせばよいか」といった戸惑いがあります。
こうした介護現場の課題に、3D VR(仮想現実)を生かした体験で応えようとしているのが「たびのわプロジェクト」です。アークモバイル株式会社と株式会社スパロウテイルが共同運営する同プロジェクトは、介護産業展「CareTEX東京'26【夏】」に出展。施設にいながら各地へのお出掛け気分を味わえる「VRレクリエーション」と、認知症のある方の視点を疑似体験する「VR認知症理解研修」を紹介しました。
介護の現場で試された二つのVR体験
「CareTEX東京'26【夏】」は、東京ビッグサイトで開かれた介護業界向けの展示会です。「たびのわプロジェクト」のブースには介護事業者を中心に、メーカーやメディア関係者など幅広い分野の人が訪れ、二つのVRサービスを体験しました。
一つは、介護施設の利用者向けに用意された「VRレクリエーション」です。もう一つは、介護職員が認知症への理解を深めるための「VR認知症理解研修」。楽しみの時間と学びの時間という異なる場面に、同じVR技術を活用している点が特徴です。
プロジェクトが掲げるのは、機器を置くだけで終わらせず、誰かの「やりたい」を広げる道具として生かすことです。高機能なデバイスそのものではなく、その先に生まれる体験や心の動きに目を向けた展示となりました。

施設にいながら各地を巡る“お出掛け体験”
「VRレクリエーション」では、高精細な3D VR映像を通して、施設内にいながら外出したような感覚を楽しめます。体験できる場所は、上野公園のお花見やお祭り、浅草、京都、海外など。日本各地を中心としたさまざまな風景が用意されています。
映像を見ることだけが目的ではありません。かつて訪れた場所を懐かしんだり、行ってみたかった土地について話したりすることで、利用者同士の会話や交流が自然に生まれることも想定されています。移動が難しい人にとって、旅先の景色が記憶や関心を引き出すきっかけになるかもしれません。
介護施設で継続的に使うには、現場の負担を抑える視点も欠かせません。複数台のVRゴーグルを管理端末から一斉に再生できるアプリケーションなどを準備し、複雑な設定を減らす工夫が進められています。数分ほどの短時間や少人数でも実施しやすく、職員が準備や運営に追われにくい設計が目指されています。

一人称の体験から認知症ケアを考える研修
「VR認知症理解研修」は、認知症のある方の見え方や感じ方を疑似体験し、介護職員の日々の関わり方を見直すプログラムです。講師が介護施設へ出向き、基礎知識の説明、VR体験、振り返りワーク、グループディスカッションの順に進めます。
認知症について言葉で学ぶことは大切ですが、本人の視点を想像するのが難しいケースもあります。VRを通して一人称の感覚に触れ、その後に参加者同士で振り返ることで、普段の声のかけ方や対応を具体的に考える構成です。知識を覚えるだけでなく、現場での行動へつなげることに重きが置かれています。
医学博士・脳科学コンサルタント・理学療法士の佐藤洋平さんは、身体感覚も使うVRには通常の動画とは異なる強さがあると評価。一人称の印象が残ることで声かけが変わり、職員による対応のばらつきを減らすことにもつながるとコメントしています。

制作から現場運用まで支える内製体制
「たびのわプロジェクト」は、アークモバイルとスパロウテイル、それぞれの専門性を組み合わせて運営されています。アークモバイルは通信や端末のサポート、研修提供などを担い、スパロウテイルは写真・映像制作やプロモーションなどを手がけています。
3D VRコンテンツの撮影・制作だけでなく、研修プログラムや現場向けの運用システムまで、その多くをプロジェクト内で制作しているといいます。施設ごとの要望に合わせた調整や、導入後の使いやすさを考えやすい体制です。
介護分野に加え、VRを研修に取り入れたい企業や、イベントで体験型コンテンツを活用したい団体にも対応する方針が示されています。介護現場で培われる運用方法が、ほかの分野の学びやコミュニケーションへどう生かされるのかも気になるところです。

技術の新しさより、その先にある体験へ
今回紹介された二つのサービスから見えてくるのは、VRの価値が映像の迫力や機器の新しさだけで決まるわけではないということです。外出が難しい人に景色との出会いを届け、そこから思い出や会話を引き出すこと。認知症について学ぶ職員には、相手の立場を自分の感覚に近づけて考える機会をつくること。用途は違っても、どちらも人と人との関わりを支えるために技術が使われています。
介護の現場では、安全性や使いやすさに加え、準備する職員へ負担をかけないことも継続利用の大切な条件です。短時間・少人数でも扱える仕組みや、体験後の対話まで含めた研修設計は、VRを特別なイベントで終わらせず、日々のケアへなじませるための一歩といえそうです。技術を導入すること自体を目的にしない姿勢も印象に残ります。デバイスの先にどのような笑顔や気づきが生まれるのか、今後の活用が注目されます。

